2025年4月24日木曜日

犬上川4

 今日も会社を定時に終わり、犬上川へ。

いつもの場所より下流の広い本流へ行ってみましたが、、、

結果はやはりボウズ。。。
雰囲気的にはアユのポイントな感じもするけど、いくつかアマゴがいそうな雰囲気のポイントもある。

夕方で虫も飛んでいるけど、ライズなし。
この川に魚いないのかな。。






2025年4月21日月曜日

犬上川3

 今朝は、釣りとある目的のため、早起きして出社して仕事です。

早起きは三文の徳といいますが、ついにかねてから目撃情報があったキジを写真におさめることができ、幸先のよい一日の開始です。


こうしてみると、なかなかの顔だち。隣の会社から歩いて、弊社の敷地に来たところを収めました。


予定どおり定時ジャストに仕事を終え、いつものポイントへ行き、まずはお目当ての鹿の角の採取。前回、偶然、白骨化したご遺体を発見し、角つきの頭蓋骨があるのは確認済みです。

同業他社ながら、仕事のよき仲間でもあり、キャンプ仲間でもあり、クライミングのきっかけともなった友人によれば、鹿の角はちょっと捻ればとれるとのことでしたが、捻っても、岩にたたきつけても角は取れません。一体どんな馬鹿力なのかわかりませんが、自称2段クライマーの彼にとっては余裕なのかもしれません。

簡単に取れないことがわかっていたので、のこぎりを持参し、根本がぶった切って、そのあとは釣り。

小さなあたりが3回ほどあったものの、ヒットせず。。。

今日はエルクヘアカディスではなく、フェザントの日だったかな。


鹿の角は、熱湯消毒ののち、古い歯ブラシで汚れを落とし、天日干しします。


2025年4月14日月曜日

犬上川2

 会社を定時で退勤後、15分後には川のほとりに立つ。

さすがに川に入る気にはならず、陸っぱりで狙えるところから、キャスト。

昼間は気温も高く、いい感じだったが、夕方はちと寒い。

ポイントは申し分ないが、やはり反応なくボウズ。。。この川に魚いるんかな。




2025年4月8日火曜日

犬上川初戦敗退

 年度初めの4月というわけでもないが、相変わらず仕事が忙しい。。

だが、しかし!ほとんど釣りに行けなかった昨年の二の舞は踏むまいと、明日できることは明日に伸ばし、本日は早退し、15時退勤。


15時に退勤し、その30分後には、ウェーダー着て、フライ結んで、準備完了。

この立地の良さだけが取り柄かなー。


事前に調査していた入渓ポイント。もちろん、脱渓ポイントも下調べ済み。
橋から見た限りでは、なんともポイントが少なそうな川だが、なんのなんの、荒瀬もプールもあるポイント盛りだくさんの川だ。これが会社から30分の位置にあるとは、なんとも幸せ。

気温が高い日であったが、まだ、早いかなと瀬尻も丹念に探っていくと、ライズがでました。初の魚の反応によい予感しかしなかったが、その後は、まったく反応なし。

1700に脱渓ポイントに到着したころには、メイフライが飛びかっていたが、川面は静か。。。

ま、初めての川だし、これからいくらでも遊べるので、ゆっくり調べていきましょう。



2025年3月23日日曜日

犬上川 調査

 昨年から住環境が変わり、職場が多賀になったので、近くの犬上川が渓流釣りの主戦場になりました。まずは、偵察ということで、全体を流してみました。

全体的に深い谷になってて、安全に入渓できるところは少なさそうな印象。アクセスがよさそうなポイントは川幅も広く、#4のロッドがちょうどよさそう。

2025年2月15日土曜日

滋賀県 多賀で遊ぶ

 遠い親戚の法事に嫁が行くというので、送迎に多賀に来ました。多賀に来ましたといっても今の職場が多賀なので、来ましたというほどのことはありません。

法事の間、暇なので、野鳥観察。





まずはエナガ。多分、シマエナガだと思う。

ほかに2尾ほど見かけたが、名前がわからん。。
黒と白の鳥は、セグロセキレイのようだが、セキレイにしては大きかった(ような気がする)

この緑とも茶色ともいえない鳥の大きさは、ヒヨドリと同じ大きさだが、明らかにヒヨドリではない。図鑑を調べてみるとシロハラのようにも見えるが、シロハラが木にとまっているのは珍しいらしい。

野鳥観察のあとは、多賀のアケボノ像の化石がある博物館に。通勤路にある博物館(博物館というにはかなり小ぶり)だが、平日のせいもあり、ほとんど人を見かけない。
ちょっと気になったので立ち寄ってみたら、なんとこのあたりの固有種の像の化石というではないか。
もともとは大陸にいた像だが、日本と大陸が分かれたときに日本にのこされ、日本の環境にい合わせて小型化したとのこと。

そうこうするうちに法事も終わり、会社の近くの蕎麦屋へ。そうよく知らなかったが、多賀は蕎麦が有名らしい。平日は開店しているように見えなかったが、休日の今日は混雑しており、少し待たされる。

滋賀赴任はこれで3回目。過去2回は、それぞれ1年くらいの滞在で、あまり多賀を探索できなかったが、今回は多賀、犬上川あたりで遊びます。

2025年2月2日日曜日

佐和山 弁天山

 滋賀県 彦根にある石田光成の居城 佐和山城跡に行ってきました。


2025年1月18日土曜日

白鷹酒造見学2年目

 昨年も行った白鷹酒造の見学会に行ってきました。今年はキャンプ仲間でもあり、業界の友人でもあるY岡氏による大規模なツアーでした。

業界の諸先輩方も招待されているとのことで遅刻するわけにもいかず、早すぎた到着。まずはじっくりと周辺を散策してみます。

白鷹酒造の周辺は、酒蔵通りと名前が付くほど酒造会社が集まっているところ。何故ここに酒造メーカーが集まっているかというと、ここでしか採取できない井戸水が酒作りにマッチしているからとのこと。


酒造通りというわりには、さほど酒蔵っぽくはなく、普通のとおり。


酒造の見学は、新酒ができるこの時期のみのイベント。新酒ができたことを伝える杉玉も緑色です。

白鷹酒造では、昔の酒作りの道具などの展示物もあり、規模の小さい博物館の様子。

見学ツアー後の試飲会やお土産どころも併設されており、雰囲気はかなり良く、さながら古民家の様相。

そして、白鷹酒造をはじめ、灘の酒処を支える井戸水がこの宮水。
宮水は、日本では珍しい硬度の高い水のようで、ミネラルが豊富な水だ。ツアーの解説によれば、硬度が高い硬水で作られた酒は、辛口で、灘の男酒ともいわれている。一方で伏見の酒は軟水らしく、灘の男酒、伏見の女酒の所以とのこと。

また、日本酒に適した山田錦も近くで栽培されており、それらが合わさって灘の日本酒となったらしい。山田錦はふつうの米と違い、背が高く粒も大きい。この米を30%ほど精米し雑味を除いたものが日本酒の原料となる。

精米され、麹を加えて発行するとこんな感じ。発酵と糖化を交互に繰り返す。

奥にあるのが圧搾機。しぼって出てきた液体が日本酒。ツアーでは、搾りたての原酒をいただける。アルコール度数が高いせいか。少しツンとするトゲのある感じがするが、時間を置くと円やかになるらしい。

今回は友人の声掛けで業界の著名人が多くあつまり、その末席に加えてもらったツアーでした。

2025年1月12日日曜日

芥川緑地健康づくり広場「アクトレ」

 普段散策している大阪 芥川にある水族館周辺に1年くらい前にできたアクトレに

行ってきました。

いろいろな健康器具が並ぶ関西最大級の健康広場らしいけど、まぁ大体どこかで見たことがある器具ばかり。確かにそれが一か所に集まっているので、近所の人にとってはいいかもしれない。

健康器具より気になるのは、その眺望。高台にある公園からは高槻市が一望でき、人工芝ではあるものの、季節がよければ、運動してお弁当を広げるのに最適。


公園の下には芥川の豊な自然があり、毎回いろんな野鳥の観察ができる。
今回は、New Faceのイソシギ(写真上)とセグロセキレイが姿を見せてくれた。


そしてちょっと足を延ばせば桜で有名な摂津峡公園。こちらは少し山になっており、生息している野鳥も少し種類が異なる。


いつも目にするさほど珍しくない鳥ではあるが、都会にも近く高槻はよいところかもしれん。




2025年1月3日金曜日

正月休みの思い出

 特にこれといってやることがなく、無駄に長かった正月休み。

1月2日、3日は嫁の実家に挨拶にいったくらいでしたが、3日目は単身赴任先の近くにある彦根城へ行ってきました。

彦根への単身赴任は3回目ですが、今まで一度も訪れたことはありません。理由は入場料。天守閣に登るために料金が発生するのは、他の城でもそうなのですが、その周辺は無料のところが多いにも関わらず、彦根城は周辺の散策にも料金は発生するのです。

どれだけの価値があるかわかりませんが、今回は中に入ってみることにしました。

入場するといきなりの坂、そして立派な石垣!それだけでも入場料分の価値があったかもしれない。

そして今まで遠くからしか見なかった彦根城。天守閣自体は小さいが周辺の石垣群からすると、なかなかの城だったようだ。


そして彦根藩といえば、井伊直弼。彦根藩は譜代大名の中でも有力な藩であり、ザ!幕府軍(佐幕派)。そして井伊直弼は、江戸幕府の大老を務め、開国派でした。反対勢力(勤皇攘夷派)を権力で粛清(安政の大獄)し、その報復として桜田門にて殺害されます(桜田門外の変)。
桜田門外の変のあと、勤王派が勢力を取り戻し、最終的に幕府軍は、賊軍としての汚名を着ることになるのですが、彦根藩は井伊直弼の死後、藩内の勤皇攘夷派が藩の主力となり、なんと勤皇攘夷の藩になったのです。


幕末はどこの藩も幕府か天皇かどちらにつくべきか、開国すべきか、否かで意見が割れ、その時の情勢によって難しい藩のかじ取りが必要だったわけですね。
いつの時代も自分の主義主張を貫くのは大変覚悟があったわけです。

彦根城周辺の庭園には、冬に花をつける二季桜があります。冬の桜は小さくこれもまた風情を感じさせますね。